2018/10/19 00:00
みなさんを二年間担任し、無事に卒業させるという責務があったにも関わらず、その職責を果たせなかっただけでなく 多大なるご迷惑ご心配をおかけしてしまったこと、まずは改めまして、心より深くお詫び申し上げます。 誠に申し訳ございませんでした。 当時配布された学校だよりや、臨時保護者会のお知らせなどを校長先生がファイルしてくれていました。 出所してからすぐに目を通しましたが、自分のしてしまったことがどれほどのひとに迷惑をかけてしまったのか、 想像を絶する現実に触れたとき、今度は恐怖感や失望感が襲ってきました。 この世から消えたい、みなさんと過ごした2年間をなかったことにしたい、会う資格なんてない、このまま逃げ出してしまいたいなど、ネガティブで、情けなくて、卑怯で、ズルいことばかり考えてしまいました。 ずっと会いたいと思っていたのに、本当にごめんなさい。 いまここに、こうしていられることが、このありがたい状況を、どう受け止めてよいのか、いまだに複雑な気分です。 校長先生からは、私が留置施設にいるときに、いろいろな差し入れがありました。 私がいなくなったあと、校長室で撮ったみなさんの写真、寄せ書きのボールの写真、メッセージカードなどです。 一人でいられる時間を見計らって、メッセージカードのみなさんの言葉、保護者の方々の言葉に目を通しました。 あたたかい言葉の数々に目を通しながら、楽しかった思い出が浮かんできたり、 申し訳ないことをしてしまったという自分の愚かさが情けなくなったり、みなさんに謝りたい、学校に行きたいなど、 いろんな感情が入り混じって、しばらく涙が止まりませんでした。 卒業式のDVDもいただきました。卒業式のことはずっと気になっていました。DVDがあることは知っていたので、 ずっと見たいと思っていましたが、いつでも見ることができる自由を手に入れながら、しばらく見ることができませんでした。 しばらくして、どんな思いも受け止めるという決心ができた日にやっと見ることができました。 画面の中に、自分がいない現実は、かなりのダメージでした。申し訳ないという気持ちはもちろんのことですが、 それを超える怒り、自分に対する怒りが湧いてきました。 そして、それと同じくらい、卒業式に出たかったという思いが湧いてきました。 みなさんがどんな気持ちで卒業式にでていたのか、どんな卒業式になったのか、それまでの練習はどうだったのかなど、 私がいなくなってからの2週間に思いを巡らせたときは、さきほどお話したように、会う資格が無いとか、逃げ出したいとか、 そんなネガティブな気持ちではなく、ただただ申し訳なくて、悔しくて、切なくて、 そんな気持ちのほうが強かったように思います。 担任不在の卒業式がどれほど無念なお気持ちだったかは容易に想像がつきます。胸が痛むどころの話ではありません。 大事な卒業式に出られなくて、本当にごめんなさい。 出所後、いったいどんな報道がされていたのだろうとずっと気になっていたので、エゴサーチをしました。 自分の名前を眺めながら、なんだか非現実的と言うか、もちろん現実なのですが、恥ずかしいというか、情けないというか。 いろんな人に迷惑かけたろうなって。 私のしてしまったことは、人間として最低の行為です。到底許されることではありません。 事件について、何ひとつ弁明できないとは思っていますが、こんなふうに思っていいのかわかりませんが、 報道をそのままを受け止めてほしくないという思いは正直あります。 しかし、このような場では、自分を正当化したり、言い訳がましく聞こえてしまうのは本意ではないので、 当時の私の状況をお話させていただきたいと思います。 御存知の通り、先生なんて言われながら、毎日楽しく仕事していました。 教師としての自覚がもっとあれば、こんなことになっていなかったかもしれませんが、本当に楽しい二年間でしたし、 大好きな仕事だったのに、ストレスを感じることが多くなっていきました。 もともとプライドが高く、強がりで、意地っ張りで、負けず嫌いで、だから、全部一人で抱え込もうとしていました。 オレならやれるみたいな、オレは負けないみたいな、そんなおかしな自信がありました。 そうすると、ちょっと自分の思うようにいかないと、なんでオレばかりこんなにやらされるんだとか、 いつも損な役回りばかりだとか、学校のやり方に不満を覚えたり、人のせいにしたり、 わがままな被疑妄想を抱くようになっていきました。 事件を起こしてしまった日も、リビングにひとりでパソコンを眺めながら仕事していたら、だんだん寂しくなってきて。 こんな時間まで仕事したり、何の答えも出ないことをずっと考えていたり、悩んだり、落ち込んだり、オレは何やってんだろうみたいな、だんだんイライラしてきて、お酒を飲んでいたので、気持ちも大きくなっていて、 家の中にいると、もうなんだかおかしくなりそうで、眠ることができそうもなくて、家を飛び出して車を走らせました。 先程、報道について少し触れましたが、他人の財物に手をかけたのは事実です。また、暴行を加えたのも事実です。 今でこそ、大切なものが入っていたであろう荷物を失っただけでなく、突然襲われたことによる恐怖、暴力による痛み、 なんの落ち度もない、赤の他人に、肉体的にも精神的にも、大きなダメージを与えてしまったことを 本当に申し訳なく思っています。ただ、当時は、男子が女子にちょっかいを出して、ランドセルを取り上げて、どこかに隠してしまうような、そんな軽い感覚でした。 検察側からの求刑は12年。自分の想像を遥かに超えていたので、頭の中が真っ白になりました。 結果、判決は8年。判決主文には、かなり厳しい言葉がつづられていました。 拘置所の部屋に戻ってからは食事が喉を通らず、それからはしばらくは、四畳の天井を眺めながら、 どうやったら死ねるかなとか、部屋の中を見回しては、首をつれる場所はないかな、なんてことを考えることもありました。 そして、控訴審のため、東京拘置所に移送されました。 控訴審は数分で終わり、懲役8年が7年になりました。 7年という判決にも納得行かず、最高裁までやろうかと思いましたが、 もうその頃には、拘禁生活にも疲れてしまっていて、あきらめていたところもあったのでしょう、 7年の判決を受け入れました。 こうして、平成25年6月20日、受刑者となりました。そのまま東京拘置所で受刑生活が始まることになりました。 それから、1年が経ったある日、理由はわかりませんが、突然移送されることになり、栃木の方へ移りました。 中での生活については、質問されればいくらでもお答えしますが、チャイムがなるんです。 学校のチャイムと同じものが毎朝、毎晩、ずっと。 そのチャイムを毎日聞きながら、未練と後悔に苛まれながら、日々過ごしていました。 自分が教師だったこと、みなさんのこと、一日たりとて忘れたことありません。 いろんな場面でいろんなことを思い出しては、ずっと会いたいと思っていました。 毎週金曜日には、事件を振り返ったり、自分を見つめ直したりするようなカリキュラムがありました。 出所が近くなったときには、企業でも行われているという、感情をコントロールのためのアンガーマネジメント、行動適正化の教育プログラムも受けました。 本を読んだり、宗教家の方に相談する機会があったり、そういった日々を送る中で反省を繰り返し、 自分の価値観や考え方に広がりを持つことができました。 当時の自分を振り返りながら、自分の弱さや短所に気づき、それを認められただけでなく、 今後の課題も発見することができました。今まで思いつかなかった問題解決の方法も身につけました。 負けず嫌いで、理想ばかり追い求めるあまり、白黒はっきりつけようとしたり、常に100%の問題解決を目指したりしていました。そして、それが自分にはできるんだと思っていました。それも、自分を苦しめる一つの要因だったと思っています。 テコンドーで日本一になると言って、夢を叶え、小学校の先生になると言って、夢を叶え、口に出したことは、実現させてきました。それが自信につながっていたのですが、それに依存しているところがありました。 人に弱みを見せられないのは、自分が好きで、自分に期待し過ぎているから、そんな自分を守ろうとしているから。 プライドが高く、強がってばかりで、自己顕示欲や、承認欲求が強すぎるあまりに、ちょっとやそっとの評価では満足できず、 自分の思い通りにならないと、わがままな被害妄想を抱いたり、自分を振り返ることなく、ひとのせいにしたり。 そんな自分の周りには沢山の人がいてくれて、沢山のひとが励ましてくれて、沢山の人に支えられていたのに、 それに気づいていませんでした。 全てを失った。そう思っていました。でもね、そうじゃなかった。いろんなひとが待っていてくれました。 たくさんの人が受け入れてくれました。会いたい人に会える、こんな幸せなことってありません。 塀の中で一番つらかったのは、会いたい人に会えないことだったのかもしれません。 制限された生活の中、星や月を見ただけで得した気分になったり、真っ青な空に流れる雲や入道雲、 色がどんどん変わっていく夕焼けを見ながら、幸せな気分になったり、「風ってこんなに気持ちよかったっけ?」って思ったり、 てんとう虫とか、カマキリを見つけたときは、珍しいものを見たから、なんかいいことあるかもって思ったり。 食事も、週に一度のパンとか、あんこが楽しみでした。「焼きそばにマヨネーズがついてきた!」とか、甘い煮豆がスイーツだったし。だから、月に2回のお菓子とか、美味しいものを口にしたときは、「これ、こんなにうまかったっけ!」と感動したし。 いままでずっとあたりまえだったものを、幸せだなって感じられる。 自分がどれだけ恵まれていて、どれだけ幸せで、自分の周りには大切な人がいっぱいいるんだということ忘れなければ、 あんな事件を起こすことはなかったと思っています。 これからは、自分の周りにいてくれる人を大切にします。当たり前の幸せを大切にします。 いまの私は、謝罪をさせてもらっただけだけです。信用を取り戻すなんて、おこがましいことは言えませんが、 今日まで、頭のなかでは数十種類の死に方を試し、数百回死んでますが、死に場所を探しに戻ってきたわけではありません。 魚は泳ぐことしかできない、鳥は飛ぶことしかできない、何だかんだ言って、 オレにはオレの生き方しかできないんだろうなって思うけど、 私にできることは、これから生きていく中で自分を磨いて、一生懸命生きていく、 その姿を周りの人に見せていくことだと思っています。 最後に改めまして、この度は、誠に申し訳ありませんでした。