2020/01/27 00:02
年が明けて2週間経った週末 新年会がありました。 調べたところ、2月上旬までは新年会といっていいらしいです。 メンバーは 高校時代の友人 そして、担任の先生 メニューを見ながら 「嫌いなもんなんだっけ」 と友人にたずねると 「夢をあきらめることかな」 というくだらないレスポンス 相変わらずです。 「石塚は?」 「夢を見なくなることかな」 ついつい付き合ってしまいました… 閑話休題 受刑生活が始まったある日 差し入れがあると刑務官に呼ばれました。 (差し入れ?誰からだろう…) 差し入れの受取票には 恩師の名前がありました。 切手10枚と 封筒10枚 便箋はありませんでした… でも、なぜオレの居場所がわかったのか。 矯正施設では、誰がどこにいるかを教えません。 そのころはまだ、ひと月に5回しか手紙を出すことを許可されていませんでしたが、すぐにお礼の手紙を書きました。 感動と感謝 そして、謝罪の言葉を綴り 最後にはもちろん " なんでオレの居場所わかったんですか? " なぜわかったのか それは " 一か八か " どうやら、 東京拘置所まで足を運んでくださり とりあえず差し入れしてみたら 受理されたとのこと。 授業中寝てばかりだったのに 起きたら昼休みだったこともあったのに 車で登校したこともあったのに あんなこともこんなこともあったのに こんなオレのために わざわざ来てくれるなんて… 先生 このご恩は必ず返しますからね。 「手紙と言えばさ、ロシアの子と文通してなかったっけ?」 夢をあきらめるのが嫌いな友人は、物覚えもいいようです。 「内戦の時だったからね、届いてないかもな」 「あのころの内戦は日清戦争の何倍もの人が、犠牲になったからな」 さすが日本史の先生 世界史を日本史でたとえます… 「日清戦争で亡くなった方々は戦争で亡くなったんじゃなくて、ほとんど病死なんだよ」 もう一回、先生の授業を受けてみたいと思いました。 日本史にあまり興味ないけど っていうか 勉強嫌いですが… 「さて、お開きにしますか」 「みんなはまだ飲むんだろ?私は帰るけど」 とりあえず、恩師を見送りに駅へ向かいました。 「先生ちょっと待っててください!」 コーヒー屋さんを見つけたのでダッシュし いつも手ぶらで帰る先生に手土産をを購入しました。 「これ、奥さんに」 「「 俺達からということで! 」」 「はぁ?何言ってやがる」 しょうもない連中です。 「奥さんには石塚からとお伝え下さい!」 オレの勝ち♬ 先生、少しずつ恩返ししますからね。